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■2人の日本人移住者物語
                      ■ 東京都 M子さんの場合


 今からかれこれ10年ほど前にさかのぼりますが、当時M子さんは百貨店につとめていました・・・。
 毎年2〜3回ほどの頻度で海外旅行に行くのですが、その大半はタイが渡航先でした。もう7〜8回程
 訪れていたようで、特にショッピングをするわけでもなくマリンスポーツをするわけでもなく、ただひた
 すらノンビリと・・・そう例えて言うのなら里帰りした時のような感じでくつろいでいたんでしょうね・・・多分。
 だいたい毎回宿泊する宿は決まっていたようで、そこから気の向くままに昼はタイ式マッサージを受け
 たり近くにある公園で読書をしたりして時を過ごし、夜は馴染みの日本料理店に行って焼き魚定食か
 カツカレー(彼女のオーダーするメニューはおおむねこの2つ)を食べてからディスコかカクテルバーに
 繰り出す日々を送っていたんだそうです。・・・なかなかイイ生活ですねぇ〜(^^ヾ


 それから1年近くたったある日のこと、M子さんから『来週からバンコクで暮らすことになりました〜』 と
 連絡がありました。・・・聞くと仕事を辞めてバンコク市内のタイ語学校に半年ほど通って、その間に学校
 を修了した後の就職先を決めるという大胆なものでした・・・(^^;) アパートはいわゆるタイ人アパート
 で、家賃は1万2千円だとのことですが、驚くなかれ台所が付いてないって言うんですよね〜・・・(>_<)
 わたしもその時はじめて知ったんですが、タイの人たちって屋台が普及しているせいかあまり家で食事
 を作って食べるというのは少ないそうですよ。・・・だから台所がないアパートがあるのか?台所がないア
 パートだから食事を作らないのか?・・・そんなわけでコップとかを洗うときは洗面所で済ましているよう
 ですよ。モチロン日本のようにバスタブがないことは言うまでもありません、みなシャワーのみです。


 そんなM子さんから就職が決まったとの知らせがあったのはそれから8ヶ月後のことでした・・・(^^)
 バンコクの某ホテルで日本人マネージャーとして採用されたのです。日本人スタッフは彼女だけで、
 フロント業務から予約の受付・・・はたまた客室準備まで多岐にわたります。住まいはホテルの寮に変わ
 り毎日多忙な生活を送っていました。・・・特に日本人の宿泊客はすべて彼女一人でこなすために、たま
 の休日も返上することがしばしばあるようでなかなか大変そうな仕事です・・・。でもやっぱりやりがいが
 あるのでしょう、生き生きしていてとてもうらやましかった事を今でも覚えています。一応週に一度の休み
 があるようなんですが、せいぜい月に三回くらいとか・・・タイ式マッサージや美容室やショッピングであっ
 と言う間に一日が終わってしまうと嘆いてました・・・ハハハ(^^ヾ


 その後も4〜5年ほど頑張って働いていましたが現在では日本で良きママをやっています。…そう、めで
 たく結婚して一児の立派なお母さんになりました。お相手はタイ人ではなくてそのホテルを利用していた
 日本人のお客さんだった方です。・・・最近では滅多に音信がなくなってしまいましたが、タイで暮らした
 何年間かは人生でとてもいい経験になったと言ってました・・・(^^) 結婚してなかったらきっとまだまだ
 バンコクでバリバリのホテルウーマンとして活躍してたんでしょうね〜。・・・楽しい反面、いろいろと人に
 は言えない苦しさとか悲しさがいっぱいあったんでしょうけど一つ一つ努力して乗り越えていったんで
 しょうね・・・久しぶりに逢った時にはひと回りもふた回りも成長していました・・・自分では控えめなことば
 かり言っていましたが、間違いなく彼女には誰にも持っていない輝きがありました・・・(^^)

 
 

                        ■ 神奈川県 Kさんの場合


 KさんとはすでにKさんがタイに住んでる時に知り合いました。・・・話しを聞いているとその行動力に度肝
 を抜かれてしまいます・・・(^^;) そもそもKさんがタイに遊びに行くようになったのは昭和60年前後で
 その頃Kさんは物書きを仕事にしていたので結構自由に時間がとれたらしいんです。だから1回の旅行
 で4ヶ月とか5ヶ月とかタイに居座ることができたとか・・・もっともその間何度か打ち合わせのために日本
 に短期間戻ってたりもしたらしいんですけどね。タイでは忙しい時間帯に屋台を手伝って労働の対価とし
 て食事をとらせてもらったり、泊めてもらったりしていました。つまりお金はほとんど使わないってことで
 すよね?・・・これって。まぁ〜航空運賃くらいは使ったんでしょうけど。わざわざタイ語学校に通わなくて
 も実践と独学でタイ語を身に付けたみたいですよ・・・ちょっとスゴイですよねぇ〜(^^;)


 そんな生活パターンを何年か繰り返しながらやがてタイへの移住を考えるようになりました・・・(^^)
 日本での仕事に段取りをつけ、スクムビット通り近くにアパートを借りて、現地の銀行口座を開設して、
 いざ出陣・・・なのですが特に仕事を決めておらず半年くらいはの〜んびり暮らしていたそうです・・・。
 それから日本語教師をするようになり、そこでずいぶん色々なタイ人と知り合いになれて後々大いに
 役立ったとか・・・。子供たちばかりではなくてビジネスマンや社長さんまで結構幅広い層の人々が来て
 いたみたいです・・・素晴らしい(^^)  ただ、Kさんの夢はタイで日本語教師をすることではなく飲食店
 の経営でした・・・しかし経営はおろか飲食店にはまったくの無縁だったので日本語を教えるかたわら、
 夜は街で人気と言われるお店で丁稚をし、少しづつ・・・本当に少しづつ『イロハ』 を学んでいきました。
 

 皿洗いから始まったKさんの丁稚奉公でしたが、やがてフロアーや調理を担当するようになり、最後には
 マネージャーとして一軒の店をまかせられるほどに成長していきました。・・・実に素晴らしい(^^)
 その頃には兼業していた日本語教師の仕事は辞めてそれ一本で日夜頑張っていたそうです。…(^^)
 資金自体はもともともってたらしく、まもなく独立して大成し今ではバンコク郊外も含めて4つの店を
 切り盛りするスゴ腕経営者として現在に至っています・・・と言っても3〜4年前の話しなのですが(^^ヾ
 前述の日本語教師時代に知り合った方々からのアドバイスやサポートが本当にありがたかったとKさん
 はおっしゃってましたが、まさに人脈とは最大の財産なのかも知れませんね〜〜・・・シミジミ(-_-)
 それにしても無の状態からよくぞここまでと感服いたす次第ですよねぇ〜〜ハイ(^^ヾ

 
 





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